クレンペラーとは

 オットー・クレンペラーは,20世紀を代表する指揮者である。

 1885年,ブレスラウ(当時ドイツ,現在ポーランド)に生まれ,
フランクフルトの高等音楽院,ベルリンのシュテルン音楽院で学んだ。
指揮デビューは1906年で,1907年にはマーラーの推薦でプラハ
のドイツ劇場の指揮者となる。
 第2次大戦前のピークは,27年,ベルリンのクロール・オパーの総
監督就任であり,当時新進作曲家であったストラヴィンスキーらの作品
を積極的に採りあげた。

 33年のナチス政権樹立から,ユダヤ系であるクレンペラーの不遇の
時期がはじまる。最終的にはアメリカに落ち着くことになるが,40年
には脳腫瘍が原因の手足の機能障害が災いして,活動停止を余儀なくさ
れる。

 大戦後はヨーロッパに戻り,51年,フィルハーモニア管弦楽団に客
演してからの当楽団とのコンビネーションによって,クレンペラーは本
質的に評価されることとなる。フィルハーモニアとの初レコーディング
は54年で,曲目はモーツァルトの「ジュピター」であるように,活動
は古典・ロマン派のレコーディングに重点が置かれ,前衛的な傾向は陰
をひそめる。
 身体面では,寝タバコが原因の全身やけど,飛行機のタラップからの
落下による骨折などで,「正確な」指揮をする状況ではなかった。

 72年にリタイアし,73年に没する。


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