クレンペラーには,指揮するに当たって,あえて華美な装飾を排除す
る傾向があり,その演奏に人肌のような表面温度はなかった。
鉄面皮でいて,それに加えて,若いころには比較的速いテンポの指揮
であったので,演奏は素っ気ないものに終始した。
数多の身体的苦難を経て,クレンペラーの指揮は,指揮棒を持たない
右手とそれをカバーするかのようにバタバタとさせる左手で表現された。
決して緻密とは言えない指揮であるが,自然とテンポが落ちたことによ
り,持ち前の禁欲さに加えて驚くほど内容が深遠になった。
60年代以降に評価の高い演奏が多いのはこのためで,特に「マタイ」
や「メサイア」等の宗教曲にその特徴が反映されている。
また,交響曲のスケルツォやロンド形式の楽章にあって,およそ軽快
に進行させる場合であっても,悠長なテンポは徹底されるため,人を食っ
た風の様相となるが,そこがクレンペラーの真骨頂であり,独特の魅力
となっている。
最終楽章にロンドを配したマーラーの交響曲第7番の演奏は,全マー
ラー演奏の中で最高傑作と言える。
ただし,テンポが落ちたからといって,好々爺の演奏ではなく,相変
わらず鉄面皮の肌触りで,決して表出しないエネルギーを内包している
ので,枯淡,幽玄といった線を期待できない点がクレンペラーに対する
好みの分かれ目となる。